早朝の初夏の畑には鳥と虫の声以外にそれを遮る雑音はなく、ここが東京郊外であるとは思えないような静けさが広がっている。そんな日曜日の静寂の時間を邪魔することなく、ベントレー ベンテイガ ハイブリッドは電気モーターの小さく唸るような音だけを従えて入ってきた。

運転席から降りてきたのはシェフの米澤文雄さん。

「素晴らしいですね、なんて表現すればいいのか、すべての素材が完全に調和した料理をいただいたような気分です。しかもまるで滑るような滑らかさに驚きました」

ベンテイガ ハイブリッドのハンドルを握るのははじめてという米澤さんの試乗後の感想だ。米澤さんを驚かせたのはこれがハイブリッドモデルであるということに加え、内装の作り込みと素材のクオリティの高さだった。さすが一流の料理人らしく、ベンテイガを構成するすべてのパーツそれぞれのこだわりや物語を直感的に読み解いている。

ブルー系パウダーメタリックのジェットストリームIIと名付けられたカラーリングが晴れた空に映える。試乗したのは電気式モーターにV6ターボ2,994ccを組み合わせたベンテイガ ハイブリッド。

ニューヨークに渡ったのは22歳のとき。縁あって名門星付きフレンチレストラン『ジャン・ジョルジュ』のスタッフとして迎え入れられると、数年でスー・シェフ(副料理長)に抜擢される。ジャン・ショルジュ・トーキョー設立の折、32歳にしてシェフ・ド・キュイジーヌ(総料理長)に任命されると、無名の若手料理人はそれこそ一夜にして話題の料理人の一人となった。その後2018年に青山一丁目のニューヨークスタイルのグリルレストラン『ザ・バーン』の料理長に。この頃、著書『ヴィーガン・レシピ』(柴田書店)を発行する。それにしてもなぜ熟成肉にこだわるグリルレストランを作りながら、その同時期にヴィーガンのためのレシピ本をまとめるに至ったのか。

農園に入ると早速収穫期に入ったケールを口にする。こうして畑に入って、摘んだばかりの野菜を口にできることも特別な時間だ。

「ザ・バーンは自分が行きたいお店を作ることがコンセプトでした。だから誰にでも門戸を開いておきたかった。宗教上、思想上、肉体上などの都合でお肉料理が食べられない、という人でさえも楽しんでもらえるお店にしたかったんです」

持ち前のサービス精神と探究心もあったのかもしれない。そうして蓄積されていった野菜食のレシピは、それまでのヴィーガン料理のイメージを根底から変える”お肉にも負けない満足感を得られる”ものとなった。ヴィーガン・レシピは発売当初から話題となり、今なお人気のレシピ本として重版を続けている。さらに時代の要請も大きいのではないか、と米澤さんは分析する。

「かつてはもの珍しくも見られたヴィーガンですが、いまでは僕を育ててくれたニューヨークでも、ウェルビーイングという文脈や、健康食という面も含めて注目のジャンルになりつつあります。さらにダイバーシティ、つまり食の多様性をみんなで認め合うという考えの浸透や、食のサステナビリティという側面からも、牧畜に比較して環境インパクトの小さい野菜が注目されていることも事実です。裏を返せば、美味しくお肉料理をいただくためには、野菜の可能性を探らなくてはいけないという考え方もあるんじゃないかと思うんです」

ビヨンド100において掲げられる、持続可能で環境に配慮された素材で構成されたベンテイガの内装。倫理的に認められたレザーから倒木を再利用したウッドまで、現代のラグジュアリーの本質とは何かを物語る。

それは自動車産業が負う責任とも酷似している。この人類の生活を支え、豊かさや喜びを提供してくれる自動車という文明を保持していくためには、自然環境との共存が必須だ。そのためにベントレーが掲げ、実行しているのがビヨンド100である。そこで描かれる未来とは”持続可能な手法で最高レベルのラグジュアリー モビリティを実現する世界”と定義し、すでに本社クルー工場を2019年にカーボンニュートラルとしている。さらに、素材調達の面における持続可能性についての探求も怠らない。たとえば、ベントレーのクオリティを証明する内装のウッドパーツ。木材のエキスパートたちによって倫理的に調達されるそれらは、自然倒木のみを採取し、1本採取したら必ず新しい木を同じ場所に植樹するという厳格なルールを課している。

極さりげなく、これが2019年当時に世界でも初となるラグジュアリーSUVカテゴリーの最初のハイブリッドカーであることを物語る。

撮影にご協力いただいた野村農園さんとしばし野菜談義に花が咲く。米澤さんの料理に対する真摯な姿勢が垣間見える。

今回の撮影にあたりご協力いただいたのは米澤さんの推薦による東京、あきる野市にある農園。西洋野菜を少量多品種で栽培され、米澤さんの野菜の可能性の探求ともシンクロする。珍しい野菜に出会うと、どう調理すればいいのか、どんな料理に昇華できるか、想像が膨らむという。そのうえで現代の料理人の責任について語ってくれた。

世界有数かつサステナブルな視点で厳選された素材を、最高峰の技術でまとめあげる、それはまさに極上の料理のようなもの。

「僕らがまだ子供の頃には東京にも町々の商店街に魚屋さんや肉屋さん、そして八百屋さんがありました。そこでは母親たちが食材を吟味していると必ず店主が威勢のいい声で”これは朝採れたばかりのコゴミだから、薄く衣をつけて天ぷらにすると美味しいよ!”なんて声が聞こえたものです。その食材を扱うプロたちがレシピのレクチャーまでしてくれていたんですよね。いまはそれがスーパーに代わってしまいました。便利にはなったけど、プロのレシピを手に入れる場所はずっと少なくなりました」

だからこそ、料理人はその食材を知り、調理方法に関しても探究心をもっていなくてはいけない、と米澤さん。

外装にあわせてチョイスされたインペリアルブルーの絶妙なカラーリングに感心することしきり。「見切りがよくて運転しやすいのも意外な発見でした」

「まだまだ僕たちは植物の可能性について学ばなくてはいけないことがたくさんあると思います。ただ美味しい食材であればどんな背景であってもいいわけがありません。料理人はその食材そのものを誰が、どこで、どう育てて、どのように調理すれば、美味しく、無駄なくいただけるかを、それを口にしていただくお客様に正しく伝えていく役割があると思っています」

自分はヴィーガンの専門家ではないし、世界の野菜に関しても学ばなければならないことばかりと謙遜する。人とタイミングに恵まれただけです、とも。一方で今後、自分のような考えをもった若手たちが増えてくるだろうと予測する。そんな若手にとって、自身がニューヨークへと単身渡り、ジャン・ジョルジュ氏のライフスタイルや所有する車に憧れたように、ベンチマークされる料理人でいられたらいいですねと笑う。

「このベンテイガなんて最高ですよね。頑張れば自分もあんな車に乗れるんだ、という夢を若手の料理人に見せたいですね」

米澤文雄(よねざわふみお) 1980年東京都生まれ。22歳で単身ニューヨークへ。インターンを経て、ミシュラン3つ星店『ジャン・ジョルジュ』で日本人初のスー・シェフに。帰国後『ジャンジョルジュ トーキョー』立ち上げに関わり、料理長として活躍。2018年秋、青山一丁目に自らプロデュースしたグリルレストラン『ザ・バーン』をオープン、料理長として腕をふるう。現在は、株)ノー・コード代表として同名の予約制レストランの運営とともに、飲食業の可能性を探求している。